「群山市の料理」の版間の差分

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:ウルェチャンアチ(울외장아찌)は、シロウリの粕漬。ウルェ([[울외]])はシロウリ、チャンアチ([[장아찌]])は漬け物を意味する。日本語の「奈良漬け」が転化した「ナナスキ([[나나스끼]])」の呼び名が定着しており、日本統治時代に日本人が多く住んでいた名残のひとつと語られる。「ナナスキ(나나스키)」「ナナスケ(나나스케、나나스께)」といった表記も見られる。
 
:ウルェチャンアチ(울외장아찌)は、シロウリの粕漬。ウルェ([[울외]])はシロウリ、チャンアチ([[장아찌]])は漬け物を意味する。日本語の「奈良漬け」が転化した「ナナスキ([[나나스끼]])」の呼び名が定着しており、日本統治時代に日本人が多く住んでいた名残のひとつと語られる。「ナナスキ(나나스키)」「ナナスケ(나나스케、나나스께)」といった表記も見られる。
  
=== その他の料理 ===
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=== アングムパン(あんパン/앙금빵) ===
*パッアングムパン(アンパン/팥앙금빵)中央路1街
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:アングムパン([[앙금빵]])は、あんパン。タンパッパン([[단팥빵]])などとも呼ぶ。中央路1街(중앙로1가)に位置する「李盛堂(イソンダン、이성당)」は1945年の創業で、韓国に現存するもっとも古いベーカリーとして知られる。アングムパンは創業当時から「李盛堂」の看板商品であり、現在は[[ソウル市の料理|ソウル市]]など他地域にも出店して全国的な知名度を誇る。現在は米粉を用いて作っている。群山市民のソウルフードとして長らく愛されており、韓食ペディアの執筆者である八田靖史は2010年4月に初めて群山市を訪れ、地元民へのリサーチを重ねた結果、「幼いころから『イソンダン』のパンを食べて育ち、学生時代は店の飲食スペースでデートを重ね、大人になってからも月に1、2度はウキウキと通ってしまうのが、正しい群山市民の姿であるらしい」と結論づけている<ref>八田靖史, 2010, 「群山、歴史を感じる食模様」(『韓国語ジャーナル第34号』), アルク, P31</ref>。
*ヘムルチャンポン(海鮮チャンポン/해물짬뽕)
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*ホンオフェ(ガンギエイの刺身/홍어회)
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:*李盛堂(이성당)
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::1945年にイ・ソグ(이석우)氏が創業。和菓子店「出雲屋(いづもや)」の店舗を引き継いで営業を始めた。看板商品であるアングムパンのほか、ヤチェパン(野菜パン、[[야채빵]] ※キャベツ、タマネギ、ニンジンなどの野菜を炒めてマヨネーズで和えたサラダ風の具が入っている)も肩を並べる人気を誇り、ソボロパン(そぼろ状のクッキー生地を表面に貼ったメロンパン風のパン、[[소보로빵]])、コロッケ(揚げパン、[[고로케]])など種類豊富なパンを販売している。イートインコーナーでは、自慢のあんこを利用した[[パッピンス]]も有名である。2014年5月に[[ソウル市の料理|ソウル市]]の「ロッテ百貨店蚕室店」に出店したのを皮切りに、各地へと支店を増やしている。
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:*出雲屋(いづもや)
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::1906年に群山市へと渡った廣瀬安太郎氏が1910年代に創業した和菓子店。当初は和菓子や餅がメインの商品だったが、息子が日本で製パン技術を学びベーカリーへと転換した。1945年に太平洋戦争で日本が敗戦すると、廣瀬家は「出雲屋」を閉店して帰国。その店舗を引き継いでイ・ソグ(이석우)氏が「李盛堂」を開いた。両店とも、あんパン、アングムパンを看板商品とするが、両者に直接の面識はなく、技術や商品の継承にかかわる接点はなかった。
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=== チャンポン(激辛スープの海鮮麺/짬뽕) ===
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=== ホンオフェ(ガンギエイの刺身/홍어회) ===
  
 
== 代表的な特産品 ==
 
== 代表的な特産品 ==
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