コリアうめーや!!第148号

コリアうめーや!!第148号

<ごあいさつ>
5月になりました。
いよいよ大型連休まっしぐらです。
今年は真ん中の2日間を休みにして、
最大9連休という方もいるのではないでしょうか。
ひと昔前は「飛び石連休」なんて言葉もありましたが、
祝日の増えたいまでは、ほとんど聞かれませんね。
ふと気付けば「みどりの日」も5月4日に移動。
4月29日も今年から「昭和の日」と名前がかわり、
ゴールデンウィークもマイナーチェンジの模様です。
僕自身は連休あまり関係ないんですけどね。
普段と変わらず、仕事を続ける5月です。
さて、そして今号のメルマガですが、
いつもとはちょっと違ったテーマを用意しました。
僕のもとに降ってきたちょっと分不相応な話。
思いがけずいろいろな発見がありましたので、
ひとつ書き記してみたいと思います。
コリアうめーや!!第148号。
東京から岐阜に移動して、スタートです。

<なんと岐阜県で講演をして来ました!!>

大勢の前で話した記憶を振り返る。

まず浮かんだもっとも古い記憶は中学生時代。
当時14歳、僕はバスケ部で頑張る青少年だった。

僕の住む地域は今でこそ子どもの数が少なくなっているが、
その頃はまだ生徒数も多く、1学年に8クラスあった。
1年生から3年生まで。1クラスあたり約40人。

単純計算して1000人近い生徒が通っていた。

全校集会ともなれば、体育館はぎっしり超満員。
その中で壇上に上がって話したという記憶がひとつあった。
今だったら、その人数だけで失神しそうな規模である。

ただし、そのときの僕は主役ではなかった。

クラスの友人が生徒会の役員に立候補する。
その応援演説として、借り出されたのだ。

「○○さんは授業中も真面目で、友達にも親切……」

いった紋切り型のセリフを並べ立てればいい。
どのみち他クラス、他学年の生徒に投票するのだから、
性格だの、公約だのは、ほとんど意味がない。

みんな知らない候補者ばかりでは、

「ウケたもの勝ち!」

という程度が学校の選挙である。
僕が応援演説に呼ばれたのも、それが理由だったのだろう。

実際、そのときの僕はガチガチに緊張しつつも、
友人と作り上げたネタ交じりの応援演説をしっかりやり遂げた。
幸いにも体育館内は気持ちのいい爆笑に包まれ、
僕の応援した友人は、無事に生徒会役員として当選した。

何を話したのかはほとんど覚えていないが、
盛大な拍手をもらったことは鮮明に記憶している。

ただし、その拍手は演説途中のものであって、
僕が話に詰まり、終わったと誤解されたものでもあった。
盛大な拍手が起こった後に、僕は2番煎じのような話を続け、
結局、最後の最後は、パラパラとした拍手で終わった。

ところどころ良さはあるものの詰めが甘い。
今に通じる大きな反省点は、当時から健在だった。

さて、唐突な昔話から始まって恐縮だが、
ともかくも今回のテーマは「話すこと」である。

「韓国料理となんの関係があるんじゃ!」

という疑問がすかさずあがるかもしれないが、
不思議なことに、これがどうしたことか関係するのである。
非常に酔狂な話なのだが、驚くなかれ。

僕のところに講演依頼が飛び込んできたのである!!

といったあたりで「!」を2個重ねているあたり、
いちばん驚いたのが、僕であることは言うまでもない。
最初は何かの間違いではないかと思ったくらいだ。

事の発端は今年2月までさかのぼる。

自宅で仕事をしていると携帯電話が鳴り、
出てみると、久しぶりに声を聞く知人であった。
この知人をここではT氏と呼ぶことにしよう。

T氏はホームページの掲示板における常連のひとり。
岐阜県在住にもかかわらず、東京で開催されたオフ会に、
わざわざ新幹線で駆けつけてくれたこともある。

突然の電話に驚いたが、

「ご無沙汰ですー。実はですね……」

から始まる講演依頼の話にはもっと驚いた。

講演依頼があったのは岐阜県の民団。
正しく書けば、在日本大韓民国民団岐阜地方本部。
その岐阜民団がサポートするフォーラムが今年から始まり、
年に4回程度の講演会を開くことになったのだそうだ。

記念すべき第1回は今年1月に行われており、
僕には4月に行う、第2回の依頼ということだった。

ちなみに第1回には政治学者の姜尚中氏を招いたとのこと。

姜尚中氏といえばテレビでもよく見るビッグネーム。
その直後に八田靖史では、あまりに落差がありすぎる。

その落差を例えて言うならば、

昼食にフランス料理をコースで食べて、夜はお茶漬け。
フルオーケストラを聴いた後に、カスタネットの独奏。
毛皮のコートをバサッと脱いだら、中はフンドシ一丁。

もはやその落ち込み具合はナイアガラの滝クラス。

シアトルマリナーズのイチローが1番を打った後に、
2番打者でジャイアンズの野比のび太が出るようなものだ。
悪い冗談かとも思えたが、岐阜の民団は本気だった。

どうやらその決まった経緯を聞いてみると、
講演者を選定する会議の場に、たまたま僕の本があったらしい。
ちょうど出たばかりの『魅力探求!韓国料理』。
しかもその直前、岐阜の地方紙にその紹介記事が出ていた。

そんな偶然が見事重なったところへ、
会議の始まりに少し遅れてT氏が登場。

「ああ、彼なら僕の知り合いですよ」

ということで、ちょうどいいやと決まったらしい。
俄かには信じがたい偶然だが、意外とそんなものなのだろう。

僕も初めは講演など恐れ多いと思っていたが、

「待てよ、これはいい営業になるかも」

と途中で気付き、身の程知らずにも快諾させて頂いた。

これも人生勉強のひとつ。物事やってみればなんとかなる。
無責任な話ではあるが、話のテーマは韓国料理だ。
話術はなくとも、それなりに知識のストックはある。

また、講演の後にはT氏による料理教室も行われるとのこと。

料理の作り方を学びながら、韓国料理を食べて味わい、
和気藹々とした雰囲気の中で、日韓交流を行うのが趣旨だという。
そのため人数も初回は300人を集めたが、
第2回は50人程度の規模で開催するとの話だった。

であれば僕の講演など、その前座的な役割。

それで気分が楽になり、後は野となれ山となれ、
の気分で岐阜に向かったのだった。

ところが現実は面白いまでに非情である。

会場である岐阜県韓国人会館に着いてみると、
そこには予想以上に本格的な舞台が待っていた。

中学校の体育館ほどとは言わないまでも、
それでも前回、300人が入った講堂である。
しっかりした幕付きの舞台が整えられていた。

舞台の中央には韓国の国旗と民団の旗。
しかも、その旗の上には横断幕が掲げられており、

「第2回岐阜韓国民団フォーラム 八田靖史先生講演会/料理教室」

との文字がくっきりと刻まれていた。
しかもご丁寧に「八田靖史」の部分だけ文字が大きい。

先生と呼んで頂くのも申し訳ないことだが、
それ以上に、国旗と民団旗の上に名前があるのが心苦しかった。
前座気分と自分を納得させて来たはずが、

「どしぇー、これは下手な話は出来ないぞ……」

と大きなプレッシャーを負うことになった。

話術だけではグダグダになるのが目に見えていたので、
事前に20枚程度のスライドを準備したのは大正解だった。

なにしろ料理というのは絵がないとうまく伝わらない。

どんなにうまい! 美味しい! と叫ぼうとも、
実際に目で見ないとうまく想像ができないものだ。
撮りためた料理の写真をつらつらと流しつつ、
それに解説を加える形で、話をなんとか展開させていった。

全体を通してのテーマは「食の韓流」とした。

『魅力探求!韓国料理』のあとがきでも書いたが、
いまの日本は、韓流に1歩遅れて韓国料理のブームが来ている。
ドラマや映画などを通じて、さまざまな韓国料理が紹介され、
街中にはそれらの料理を扱った専門店が急増している。

豚バラ肉を焼いて食べるサムギョプサルや、
柔らかい豆腐をチゲに仕立てたスンドゥブチゲなど。
料理の基礎的な解説を踏まえつつ、「食の韓流」の現状を語った。

最初は自分でもわかるくらいガチガチだったが、
話しているうちに、なんとか少しずつ余裕が出てきた。

韓国における食習慣やマナーについての話では、
場内から、幾度となく笑いが起こって嬉しかった。
後から聞いた話では、

「主に韓国の方に大ウケでした」

という内輪受けにも似た状態だったらしいが、
それでも多少の盛り上がりを作ることは出来たようだ。

気がつけば45分ほどの持ち時間を消化しており、
なんとか責任だけは果たせた様子であった。
最後に質疑応答を受け、僕の出番は無事に終わった。

その後の料理教室はさらなる盛り上がりを見せた。

みんなでチヂミを焼いたり、プデチゲを作ったり。
プデチゲとはハムやソーセージを具にした洋風のチゲのこと。
ほかにもチャプチェ(春雨炒め)などの料理が並んだ。

料理の指導についてはメイン講師のT氏だけでなく、
僕の講演時に爆笑してくれた韓国人の先生方も各テーブルで参加。
アットホームな雰囲気で、韓国料理を楽しむ場ができていた。

僕は肩の荷が下りた気分でその光景を眺め、

「なるほど、これはいい企画だなぁ」

としみじみ感じていた。
食を通じての日韓交流は、やはり盛り上がる。

それと同時に韓国料理への関心の高さも感じた。
講演の最中も、料理に対する反応から少しずつうかがえたが、
そもそもの基礎知識がかなり拡大している。

質疑応答時には、

「チャジャンミョンという料理が美味しいと聞いたのですが……」

といった料理名も登場していた。

チャジャンミョンとは韓国式のジャージャー麺。
韓国では国民食的な地位にある人気料理で、
ドラマや映画などにも、頻繁に食べるシーンが登場する。

ただ、韓国料理全体から見ればマイナーな料理であり、
そんな料理名が自然に出てくること自体が僕には感慨深かった。

また、ゴールデンウィークに韓国の地方を旅するという人がいて、
地域ごとの美味しいもの情報を教えて欲しいと質問された。
目的地を聞いてみると釜山、南原、全州、扶余を回る予定だという。

そのうち半分は僕でも行ったことがない。

知る限りの有名な郷土料理を伝えたが、
答えながら僕のほうが、すごいなあと感心していた。

行く前は岐阜における韓国料理の浸透度が不安だったが、
そんな不安は必要ないくらい、韓国情報が深く入り込んでいた。
すでに韓国料理の話は、全国的にマイナーではないのだ。

偉そうに先生などと呼ばれてしまったが、
実のところ、いちばん勉強になったのは僕だろう。

「食の韓流」を講演テーマに掲げて話をしに行き、
逆に「食の韓流」の浸透を実感して帰ってきた。

人生勉強のひとつ、と思って出かけた初めての講演。
呼んで頂いた岐阜の皆様に、心から感謝である。

<お知らせ>
講演時の写真がホームページで見られます。
よかったらのぞいてみてください。
http://www.koparis.com/~hatta/

<八田氏の独り言>
やっぱり話すよりも書くほうが楽。
話術のない身としては、つくづくそう感じます。

コリアうめーや!!第148号
2007年5月1日
発行人 八田 靖史
hachimax@hotmail.com



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