コリアうめーや!!第75号

コリアうめーや!!第75号

<ごあいさつ>
桜が散り、春の暖かさも本格化です。
春眠暁をナントカとはよく言ったもので、
身体中が、春ならではのゆるみを感じています。
うつらうつら、という擬音が最も活躍する今日この頃。
お昼ごはんを食べて、午後3時……。
あなたの横で、睡魔が笑っていませんか?
僕の横では、呵々大笑しています。
さて、今号のコリアうめーや!!ですが、
ちょうど25号刻みの記念号となります。
第25号、第50号でやった企画の第3弾。
「あの人」と食べた、韓国料理の記憶を振り返り、
ちょっとしんみり語ろうという趣向です。
時計の針をキリキリと巻き戻し、
コリアうめーや!!第75号。
少し遠い目をして、スタートです。

<あの日あの時あの人と……3>

美味しいものを食べた思い出がある。
あの日あの時あの人と、一緒に食べた味わい深い思い出がある。

料理を作る喜び、というのは2種類あるように思う。
すなわち、自分自身のために作る喜びと、
誰かのために作る喜びの2種類である。

前者の場合は「さあて、晩酌用にブリのあら煮でも作るかな」というものであり、
後者の場合は「愛しのダーリンのために得意のグラタン作っちゃお」というものだ。
どちらにも優劣なく、そしてどちらも楽しいことである。

世の中には「料理なんて一切ダメ」という人もいるようだが、
ずいぶん損な人生を送っているなあ、と僕なんかは思ってしまう。
料理は楽しい。そして、ちょっと幸せになる。

何を隠そう、僕にも誰かのために料理を作った思い出というのがあり、
恥ずかしながら今回は、その記憶をひとつ引っ張りだしてみようと思う。
韓国料理の魅力にとりつかれ、それを日本に持ち帰って披露した話。
時計の針は、ちょうど4年前の今ごろまで戻る。

留学先で出会った、魅力的な韓国料理。
それを一時帰国の際に、まず食べさせてあげたいと思ったのは、
当時、遠距離のまま付き合っていた、彼女だった。

僕がその料理に出会ったのは、
留学に出かけて2ヶ月ほどが過ぎた頃だった。
学校帰りにクラスメートと立ち寄った近くの食堂。
席についてメニューを眺めていると、友人のひとりが叫んだ。

「おお、この店はタットリタンがあるじゃないか!」
「タットリタン?」

その場の何人かが、ハテナ顔を見合わせる。
僕も同じく、そのときはタットリタンという料理を知らなかった。

「いやあ、タットリタンはうまいんだよ」

と、熱く語り始める友人。
友人の説明によれば、タットリタンはこんな料理であった。

タットリタンとは、鶏肉と野菜を煮込んだ料理。
韓国語で「タッ」とは「鶏」のこと。そして摩訶不思議なことに、
その後の「トリ」というのも、日本語の「鶏(トリ)」に由来するのだそうだ。

「タン」は鍋料理をはじめとした汁物の総称なので、
言ってしまえば、タットリタンは「トリトリ鍋」。
日本の「チゲ鍋」を笑えない、ちょっと微妙なネーミングなのである。

その中身はといえば、「トリトリ鍋」の名の通りメインは鶏肉。
骨ごとぶつ切りにした鶏肉を、同じくゴロゴロと大きく切った野菜と一緒に煮込み、
味付けはさりげない甘味を加えつつも、韓国料理らしく激辛に仕上げる。
ごはんのおかずとしても、酒のつまみとしてもよく合う料理だ。

「ほう、それはうまそうだねえ……」

友人の熱い説明により、場の雰囲気は一気にタットリタン方面へと傾いた。
タットリタンは大鍋で作る料理なので、基本的に1人前の注文というのはない。
鶏を1匹をまるごと使うくらいが標準なので、昼食だと楽に4人前にはなる。

「こいつをドーンと頼んで、みんなでつつこうではないか」

と、タットリタン好きの友人が提案した。
正直なところ、僕はそのとき別の料理を食べたかったのだが、
場の雰囲気にはさからえず、しぶしぶとタットリタン組に加わった。

ところが、食べてみると、むちゃくちゃにうまい。

骨ごとぶつ切りにされた鶏肉がうまいのはもちろん、
ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、長ネギといった野菜がまたうまい。
唐辛子がたっぷり入っているため、辛さは強烈なのだが、
よく味わってみると、なんともいえない素朴な甘味がある。

鶏のモモ肉に、ぐわしっとかぶりついてジューシー。
ほどよく火が通ったジャガイモが、口の中でホコホコ。
スープをひとすすりすれば、それはそれは濃厚な旨み。

「なんて、うまいんだ!」

感動の涙が、目から鼻からバケツ1杯分くらいは軽く出た。

「ようし、僕はいつかこの料理を自分で作れるようになろう」

僕はそのとき、唐突に決心した。

それはタットリタンそのもののうまさもさることながら、
離れて日本にいる、彼女にも食べさせてあげたい、との思いからだった。

この日から、僕は韓国料理の修行を始めた。
大型書店で、写真がでかでかと載ったレシピ本を購入。
最終目標をタットリタンに定め、簡単なチゲなどからひとつひとつ覚えていった。

最初は失敗の繰り返しだったが、それがまた楽しくもあった。
手探りで始めたわりに、慣れてくるとそれなりのものが作れるようになる。
基礎となる調味料の使い方と、味付けの方法がわかると、あとはぐんと早かった。
肉でダシをとって、ニンニク、唐辛子、ゴマ油……。

「へえー、韓国料理ってこんなふうに出来ているんだ」

と、思い始めたときには、すでに韓国料理の魅力にどっぷりと浸かっていた。

韓国料理のイロハがわかり、なんとかサマになってきたころ。
僕は学校の休みを利用して、一時帰国をすることにした。
もちろんスーパーへ行き、日本では買えない材料を一式揃えてである。
いよいよ彼女のために、タットリタンを作る日がやってきたのだ。

腕をふるう舞台に選んだのは、ひとり暮しの彼女の家。

その日、彼女は用事があって、昼間出かけることになっていた。
戻ってくるのは夕方過ぎ。僕はこれをチャンスと考えた。

「じゃあ、夕飯を作って待っているよ」

そう彼女に伝え、僕は念願のタットリタンを作ることにした。

彼女の家で、僕はひとりキッチンにむかう。

辛さは抑え目にしたほうがいいかな。
日本だから、ニンニクは少なめにしたほうがいいかな。
ゴマの葉は慣れないと癖があるけど、彼女は食べられるかな。
でもやっぱり本格的にこだわるべきかな。

あれこれ、あれこれと悩みながら、僕はウキウキとタットリタンを作った。

鶏肉を煮て、野菜を煮て、味付けを施し、
約2時間の格闘ののち、さあどうだと味見をしてみると、
我ながらなんとも素晴らしい出来栄えであった。

「うひょー、おいしく出来ちゃった!」

思わずオタマを握りしめてガッツポーズ。
妄想の中では、彼女の喜ぶ姿がエンドレスで流れている。
どこから見ても、馬鹿まっしぐらだ。

さあ、あとは彼女に食べさせるだけ。
僕は鼻の下よりも首を長くして、じっと彼女を待った。

口に合うかな。喜んでくれるかな。
辛いのは大丈夫なほうだって言ってたよな。
あとは、料理そのものが好みかどうかだな。

そして、いよいよ彼女が帰ってくる。
彼女は僕が作ったタットリタンをおいしく食べて、めでたしめでたし……。
となるはずだったのだが、どうしたことかここからオチがつく。

彼女はひとりで帰ってこなかった。

詳しい経緯は忘れてしまったが、
彼女はたくさんの友人を連れて帰ってきたのである。
彼女の友人といっても、僕とも気心の知れた共通の友人。

彼女とのウキウキごはんは、あっという間に狂乱の大宴会となった。

彼女のために作ったタットリタンはパーティ料理と化し、
箸が縦横無尽に乱れ飛んで、一瞬のうちにすっからかんとなった。

悲しみは、それだけに留まらなかった。

後で思い返してみると、彼女の反応を覚えていないのだ。
作りながら彼女の反応をあれこれ妄想していたことはよく覚えているが、
実際に食べてもらって、どうだったのかが、すっぽりと記憶から抜け落ちていた。

印象深く覚えているのは、

「うん。これは、辛い肉じゃがだな!」

とずばり言いきった、友人のセリフのみ。
心を込めて作った料理を「辛い肉じゃが」の一言で片付けられ、

「なにぃ、これはタットリタンと言ってだなぁ」

と、料理を1からすべて説明して怒った覚えがある。
どうやらその印象が強すぎて、それ以外のことをすべて忘れたようだ。

あれほど頑張って作ったタットリタン。
肝心の彼女を喜ばせることはできたのだろうか……。
いくら首をひねっても、その記憶は蘇ってこない。

あれから4年。
彼女と別れてしまって3年。

今ではすべてよい思い出だが、
その一部がわずかに欠けているのが残念でならない。
あのとき作ったタットリタンのこと。

あの子は覚えているかなあ……。

<おまけ>
タッカルビとチムタクのルーツは、タットリタンにあるそうです。いつか韓国における鶏料理の系譜というのを、体系的にまとめたいと思っているのですが、さすがに難しく見通しもたちません。とりあえずタッカルビ発祥の地である江原道洪川と、チムタク発祥の地である慶尚北道安東を訪ねてフィールドワークをしてみたいのですが、どちらもかなり辺鄙なところなので、行くことすらもままなりません。本気でやればかなり面白い企画になると思うので、こんな企画に付き合ってくれる奇特なスポンサーが現れないものかと、密かに願っております。

<お知らせ>
タットリタンの写真がホームページで見られます。
よかったらのぞいてみてください。
http://www.koparis.com/~hatta/

<八田氏の独り言>
4月14日はブラックデー。
炸醤麺を食べ損なってしまったので、
イエローデーにはカレーを食べなければなりません。

コリアうめーや!!第75号
2004年4月15日
発行人八田靖史
hachimax@hotmail.com



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